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何かと時代が急変し、この南の島の野良犬一匹すら平穏に暮らせない事態ですが
教授こと坂本龍一氏の8年ぶりの新譜を頻繁に聴いています。

特にNHK−FMのクラシック番組が終わった後の夜の時間帯に
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普通のポピュラー作品やジャズやクラシックとも違い
その8年間熟成したコンセプトも含め、気軽に聴く類の音楽ではなくth_CIMG6160.jpg
本当の意味で腰を据えじっくり聴く作品なんで、今やバックナンバーとなってますが
音楽専門誌やこの美術手帖などのインタビュー記事を併せて読むと、更に深く楽しめますよ。th_CIMG6163.jpg
”非同期”と銘打ったこの作品。
教授なりのアプローチで”音楽”をより高次元で再定義した作品でして
「聴く」ことを主眼においてます。

確かに作り手や弾き手や歌い手の独りよがりな部分も大きいですからね音楽というのは。

そういう意味で、この作品は楽器の音だけでなく環境ノイズすらも
聞き手が主体となり主観で楽しめれば「音楽」として成立し得る。
というジョン・ケージ的な境地へ教授なりのアプローチで到達してる作品でしてth_CIMG6161.jpg
全てが手に届く範囲にある小さいミニマルなスタジオで作り込まれたこの作品。
聴く度に解るんですが、散漫がちだった精神が嫌でもソリッドに集約され
音へ集中される感覚が味わえる孤高とも呼べる作品。

それでいて、M、つまりミュージックな部分は破綻させずに
絶妙なバランスで成立するよう作り込まれてるのは流石の一言。
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自分も似たような環境(ただの貧乏な狭いド庶民の部屋ですが)なんで
ステレオに混ざる窓越しのノイズやらが非同期性と同期し、増々感覚が鋭敏化するわけで
そのヤバイ中毒性は個人的にフリージャズ以上ですな。

広くリッチなリスニング部屋でなく狭い茶室的な空間で
感覚を鋭くし、文字通り「音」を茶の如く精神的に嗜む。

そんな聴き手主体のアルバムでして、まさに音だけでなく精神的な領域における
原点回帰な”和”のテイストも感じられますが、無論それは教授いわく
一通り西洋も含めた音楽全般を踏まえ、”和”へのクリティシズムも経た上でのアプローチ。

ミニマルから壮大なオーケストレーション全てを経た教授だからこそ、
音楽を突き詰めていけば精進料理的なアプローチになるのは必然的だと思いますし
だからと言って、作品んp音空間や響きがデッドで狭いかというと、さにあらず
むしろ精神が音に対してソリッドになる分、心眼的には広大に拡がるんですな〜ここら辺も流石。

そんな教授だからこその作品。
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特に美術手帖の特集では、音楽に限定せず教授の過去の作品や芸術的アプローチの総括や
影響を与えたアーティストや作品なども詳しく網羅してるんで読み応え十二分。

そんなわけで、こんな音楽が細分化されインスタントな時代だからこそ
本当の意味でじっくり腰を据え、”音”を”楽しめる”教授の作品は貴重で素晴らしいものがあります。

照明を暗くして雨音なんかと共に聴くと味わい深いですよ。

そうそう教授はもう「音楽」であることすらどうでもいい。
とすら言ってますからね。
個人的には別なベクトルですが、大いに同感しています。
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