枠より気持ち。

こんな教育勅語な時代だからこそ、弔いも自己判断。
ダラダラと長くやりませんよ。

いや〜多くは書きませんが、改めて高齢な祖母の死をフィルターに
色んな事柄が垣間見えて面白いですな。

この曲がりなりにも自立する間抜けなハード・コアなニートの住処は総合病院の目の前。

親戚縁者からは爪弾き者ですが、祖母の死に目に際して最後の最後まで
そこで暇を活かし世話してのはこの間抜けでして、それなりに可愛がられておりました。
香典なんざ一銭もないですが最後に使用した介護用品やらは、今も狭い我が家にあり
しょーもない美栄の張り合いな葬儀なんかより人間の生き死に。

大往生な死体と化した祖母を葬り去る過程をつぶさに観察し
人は何故信仰をもつのか?動物にはない弔いとは?
そもそも宗教とはなんぞか?

社会人としては生きてたら考えも及ばないであろう
現代日本に渦巻く社会的な問題点も個人的な視点から再確認できました。

父方は神道。母方は仏教でしたが
もう、我が家には仏壇も神棚も無いですよ。そんなしょーもないもの

本質は枠じゃないのですよ。
社会も宗教も国会も一切合切。

弔うというパーソナルな気持ち、すなわち感情が大事。
社会的な地位やお金の額でなく、冷たい死体になる数日間
婆さんと最後に交わした言葉とか。

そして、葬式中も今もジャズが鳴ってましたからね。
天気も脳内のBGMもいつも通り普段の通り。

そんな時に限って不謹慎だの、どうのこうの言う奴は大抵は
遠くから偉そうにやってきて、しょーもない枠に拘る連中。

そういう連中は枠に拘るから守るべき枠に自らを当てはめ
社会的な地位や人種や宗教や政治思想という狭い狭い枠の中で争ってるのです。

俯瞰してみたら実に実に滑稽でしたね(笑)

葬儀なんてほんと儀式的な意味合いしなかいですよ。
遠くから死に目にも合えなかったくせに
はるばるやってきて社会的な地位を盾に美栄の張り合いでデカイ顔してるんですから
そんなのに何の意味もないです。

大統領であろうが動物であろうが、ただただ冷たい死体になって死ぬだけ。

弔う気持ちさえあれば儀式なんて後付な枠は要らないのです。
国や社会も同じ。

人間が如何に人間らしく生きて死ぬか?本末が転倒してはいけません。

そんなわけで、明日からまた
いつも通りいきますぞ。ワハハ
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