自己思考なき時代と、勝手に言ってますが
そんなの美しい国では、今に始まったことではありません。

もともと曖昧無垢な土着的なアニミズムである神道や
外来宗教である仏教や
これまた外来である儒教を基にした、水戸学に端を発する急造武士道など
皇室も含めて、明治以降統治を強化するための急ごしらえな規範へ
その身を預けてきたのが日本民族。


その根本を探る上で欠かせないのが、儒教
朝鮮半島においては、宗教的に信仰されたりもしてましたが
日本では宗教というより、倫理及び道徳的な規範として
今も馴染みの深いコレ。

福(子宝)禄(出世&金儲け)寿(長生き)に代表されるように
現世的で唯物的な欲望や価値観を肯定している儒教や道教。
孔子により開祖され、体系化された儒教は、宗教や思想以前に
中国の土着的な生命観を反映した代物といえるでしょう。

その中国の土着的な生命観の根底に、
父系、すなわち男性を中心にした系譜を重視する家族関係があり
それに基づいて、族譜を編纂したりするわけです。
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中国の土着的な生命観や死生観には、母は借り物
すなわち、産む機械。
その族譜には氏のみ記されてたくらい男子中心でして
図にあるように、父系の男子を多く残してこそ、ナンボ。

それこそが自己を永遠化し、死の恐怖を克服する死生観であったわけで
儒教や道教にも、この生命観や死生観が大きく影響していて
この自己思考無き、美しい国へ影響してるのは、言わずもがな。

さて、そんな儒教。
その詳細は面倒くさいので、例によって割愛しますが、
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中国大陸で様々な思想が開花した「諸子百家」の時代に
孔子により開祖され、礼や仁を重んじるそれは多くの弟子を獲得。
儒教集団が誕生。後にその弟子との対話は論語として編纂。
後に体系化されたわけですが、当然ながら、その過程で分派も生むわけです。

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その中で、とりわけ有名なのが孟子と荀子の性善、性悪説の対立などがあります。
そんな思想も含めた百花繚乱な戦国時代を強制的にリセットしたんが
秦の始皇帝。

彼は論ばかりで実行力が無いと、儒者や儒家の思想を全否定し
より偽悪的な法家の立場をとり、「焚書坑儒」で儒教の文献を焼却。

儒者を生き埋めにするなど悪名を残しますが、漢代になっても
初代の高祖は下層民の出身だったので儒学を馬鹿にして蔑ろにします。
しかし、それも2代目、3代目になると儒学も徐々に復興し、
7代目ではついに儒教は国教化。

国教となった儒教ですが
強烈な思想、及び政治的な副作用を生むわけです。

その一つが、科挙と呼ばれる壮大な高級官僚の登用試験で
20世紀まで続くそれは
”昇官発財”(官僚として出世して金儲け)という
どこかの美しい国の自己責任に似た歪んだ固定観念を生み、
多くの若者たちがそれに挑戦。
四書五経で総計85万1286字に及ぶ壮大な丸暗記試験。

当然ながらカンニングも横行したりした、この科挙制度こそが
中国大陸の思想的なダイナミックさを奪い
若者たちの野心や知識人の頭脳を完全に一つの型にはめて停滞。

それが再び起動するには、中華自民共和国の代まで待つことになるわけです。

そんな停滞という副作用も生んだ儒教ですが
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決して一枚岩ではなく、「訓詁の学」で経典を正確に読み観念的であった儒教を
朱熹により哲学及び宗教的に体系化し、独自の「朱子学」として組み立てました。

仏教の禅などからも影響を受けたそれは、儒教の仏教化とも呼ばれたりしてますが
「十三経」から「四書五経」へ体系的に整理しました。

そんな人間を気と理に分別した朱子学に対してのカウンターが、陽明学。
理と性を対立させるんではなく、人間の心を丸ごと(良知)として肯定。
よりダイナミックで自由奔放な思想ですが、アバウトな分、
如何ようにも解釈可能で後に分裂。

そんな朱子学と陽明学
前者は水戸学に代表されるように江戸から幕末期の日本へ多大な影響を与えます。

独自の思想や哲学のない日本において、
土着的なアニミズムである神道や外来宗教の仏教などでは
統治する上で弱すぎます。

それを補完するために、江戸後期で儒教(主に朱子学)を輸入。
水戸光圀の「大日本史」などに代表されるように
新たな人工的で急造的な規範は、西郷隆盛や吉田松陰らにも影響を与え
明治以降の国家的な価値規範として利用されるに至ります。
(朱子学だけでなく陽明学の分派も、近代の三島由紀夫などへ影響した)

そう、曖昧無垢な日本人というアイデンティティを考える上で
この輸入された儒教的な規範を抑えておかないと

大日本史や大日本帝国が生んだ
自己思考なき、ごっちゃ煮な価値規範の泥沼へハマるわけで
今も多くの日本人が、道徳の授業などで老人は無条件で敬え等
訳分からん儒教的(的であるのに注目)規範に身を置き

自己思考なき自己喪失の過程にあり、
その象徴こそが、まさに誰よりも自己を喪失した天皇と天皇制です。

長きに渡る父系の皇統なんて誇っている美しい国。
個人的に言わせてもらえば、それこそが自己思考なき日本人における歴史の負の象徴。

何より、今も天皇陛下を悩ます皇室典範なんて存在が、
黒船により道徳的な規範や国体を慌てて急造した明治以降の大日本帝国
その負の遺産であるわけです。

中国はその儒教により停滞し、その開放が遅かっただけで
文明を先に開化しながら儒教を後追いした日本が思想的に暴走し
国家的に破滅したのは歴史の皮肉。

そして、今は経済大国としても2回目の下り坂で
思想的にも再び戦前へ回帰中。

どうです?

ちょいと儒教のアウトラインを知るだけでも
自己思考の大切さと思想的な硬直化の怖さが解るでしょ?

美しい国の伝統などと言いますが
内実は輸入品ばかりで、実に実に曖昧無垢な存在ばかりなんです。

そんなフラフラと自己喪失した存在だからこそ、
急ごしらえな規範や錦の御旗の効力もあるわけです(笑)

他にも中国には、エリート主義な儒教に対し
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より庶民的で宗教的な道教などもありますが、今回は割愛、割愛。

自己思考なき時代の思索の旅は、次から新たなステージへ移りましょう。




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