さて、ハード・コアなニートによる面倒くさい思索の旅。
少し日課や稼業にかまけて間が空きましたが、再び、しばしお付き合いをば。

前回までは、哲学なき時代における思索の手掛かりとして
世界宗教の大まかなおさらいをば行った次第ですが、前回のヒンドゥー教に続き
今回は同じくインド発の仏教。

前回も書きましたが、インドでは早くから哲学的な思索は行われていて
ヒンドゥー教やそれに伴うカーストなどで制度化もされてました。
しかし、過去のインドは家畜による肉食が主流であり、それに伴う災害が頻発。
その時に非殺生、植物食を旨とする思想家や宗教家が現れ、その一人である
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修行者、シャカにより開祖されたのが仏教。
シャカはヒマラヤの過酷な原始社会でこの世の無常を感じ
地位、財産、家族を捨てて、所謂、出家。
修行の果てに悟りの境地に到達し、ブッタとなった次第。

シャカの思想もインド土着のカルマ(業)を基本としてますが
そのカルマによる因縁を断ち、無我の境地=ニルヴァーナに到達することよって
悟りとする次第でして、その悟りの過程で必要なんが
八正道と呼ばれる方法。

極端な苦行や自由の中道にある、この修行法により
シャカは多くの弟子を獲得しますが、
仏滅後、上座部仏教と大衆部仏教に分裂し、更に細分化し現在に至る次第。

上座部仏教は比較的シャカの教えに忠実であり
自らを大乗仏教と呼ぶ大衆部に対し小乗仏教と呼ばれてきた宗派。
戒律に厳格で、全ての修行者が仏になれるとは限らないと
悟りに段階を付けるエリート的な思想が中心にあります。

この流れは主にスリランカから始まり、現在の東南アジアへも拡大しています。
労働を禁じ、食べ物は喜捨してもらい、ひたすら瞑想に耽るアレです。

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それに対して大乗仏教と自称する大衆部の仏教は
誰でも人間は仏になる資格を持っているとし、エリート主義な小乗仏教を批判。
プロテスタントの布教の如く、積極的に多くの人へ教えを説き仏にするという流れ。
自分が成仏するより、多くの人を成仏させた”菩薩”を高評価します。

教義も限定されず、哲学的な思索も多岐にわたり、かつ精緻に展開されました。
この大衆部は主に中国や朝鮮半島に伝搬し、一時的に栄えますが形骸化。
同じく伝搬した日本で更に独特な発展を遂げるのは、ご存知の通り。

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その大乗仏教の中で、独特な発展を遂げ日本にも影響与えた中国仏教。
ガンダーラから続く中央アジアを経て中国へ伝搬されたわけですが
それが体系化された三蔵と呼ばれる経典、論書、戒律であり、
「西遊記」の伝奇小説はまさにその過程をフィーチャーしたもの。

その四宗派はご覧のとおり

とりわけ、後世に大きな影響与えたのは
天台宗と浄土教と禅宗。

法華経に基づく天台宗は、もっとも大衆開放的で積極的。

浄土教は信仰を阿弥陀如来に集約させており
救いは「信仰のみ」というルター的な思想を持ちます。

「不立文字」を謳う禅宗は、その通り
経典など言語に頼らず、ひたすら瞑想と精神集中によって悟りを目指す宗派。

この3つ、中国より日本へ大きく影響し、今や中国よりも栄えています。

そんな大衆開放された大乗仏教の最後には
カルト的な密教も萌芽。
大乗仏教の思想や哲学に古くからの呪術を融合させ神秘的に体系化されたそれ
曼荼羅と呼ばれる絢爛な図絵を用いたり、護摩を炊く祈祷や儀式を最重要視し

その秘儀による恍惚状態を即身成仏とし、そのためには性欲すらも利用します。

これは主にチベットなどで栄え、モンゴルや華北にも広く普及しますが堕落

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改革を経て、戒律を重んじる黄教を興したり
ダライ・ラマなどに代表される活仏と呼ばれる思想や存在も生み、
中国共産党との軋轢を経ながら現在に至ります。

そんな実に実に大まかな仏教の流れを見るだけでも
とりわけ、この自己思考なき美しい国における
思索の基本的な手掛かりになると思います。

以外にコレすら知らない人が殆どですからね。仏教の信徒でも。

そんなわけで、基本中の基本から、おさらいする思索の旅。
まだまだ終わりません。


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