さて、最も根源的な”思考”が全方位で、おなざりにされる現代社会。
今日もハード・コアなニートによる、人間回復への旅へしばしお付き合いをば。

前回までは、クソめんどくさい哲学というカテゴリーにおける系譜を簡素に辿り、
この現代社会では見事に失われた思索、その手掛かりにすべく復習したわけですが
今回は、哲学と同等かそれ以上に人間が人間である所以の一つである重要なカテゴリー。

太古から政治や経済や科学や文化、多方面に影響を与える宗教。
このカテゴリーについて、サラッと掘り下げていきたいと思います。

法治国家による統治やテクノロジーが高度に台頭した21世紀の世界で、
そんな意味はあるのか?そんな問いがありそうですが・・・。

いやいや、この分野でも、この根源的な分野だからこそ
人類は現在、思考停止状態にあるわけでして
イスラム教徒における思索の指導者たる、預言者の代理人、カリフの系譜は1922年に断絶。

その思考停止なイスラム社会における混乱は、911のテロやその後の顛末は無論。
まさにカリフを自称するISISの”野蛮”な台頭によって、現在進行形で証明されております。

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さて、そんな動物化する現代人間社会ですが
宗教も哲学同様に突然変異的に発生したわけでなく、それは自然発生的でありまして
常に自然に対峙してきた人類の無力さと、その畏敬の念による代物。

荒削りな呪術的レベルからスタートし、部族や民族間に留まるドメスティックな存在から、
哲学同様に、人間の五感を超越した形而上学的な抽象世界へ昇華。
宇宙や、その起源や終末までもその対象に捉えはじめ
マックス・ウェーバーが分類し、体系化できるほど世界的な宗教へと発展したのです。

「人間はどこから来て、どこへ向かうのか?」
「この世の正義とは何か?」

まさに人間だけが持つ、この根源的な問いに対しての葛藤こそが、宗教の原動力でして
人間は正しく良く生きるべきで、それが幸福だと定義したとしても、
現実は、正直者ほど馬鹿を見て、不幸で苦しめられることが多々あります。
まさに今の時代なんかその典型例ですな。

結局、「神とは何か?正義とはなんぞ?」
この2つの問いへ対し、宗教は密接に関係してきます。
これがウェーバーの言うところの神義論。

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そのウェーバーによる大分類がコチラ

大きく3分類できるようでして、まずは「幸福の神義論」
これは、人間はどうしたら幸福になれるのか?というテーマを持った、
正の神義論ともいうべき代物でして、当然ながら、この世に”義”はあると解答されます。

その系譜には儒教や道教など、我が国やお隣の国でも馴染み深い宗教観というか
もはや道徳観ともいうべき存在がありまして、
福(子孫)、禄(資産)、寿(長生き)を希求するのは当然と、
文字通り定”義”され、体系化されております。


で、もう一つが負の神義論ともいうべき、「苦難の神義論」
人間はなんで苦しむのか?という問いからスタートし
一つはインドや仏教などの「業」いわゆるカルマ説が有名ですな。
人間は前世の行いを本質的に背負っていて、それによってこの世の幸不幸は無論、
この世の行いにより、来世も決定するという説。

もう一つの予定説ちゅうのは、神の摂理によって人間の運命全てが絶対的に定まっている。
だから、人間は最初から何も理解できないし、知ることもできない。

それ程、神とは人間には及びもつかない偉大で崇高な存在であるから、
救いを求めるのではなく、救われてるという”実感”を求め努力せよ。
って説で、その代表例にカルヴィニズムなどがあります。

これら神義論の背景に神を中心とした宇宙論が在り、
天地創造や最終審判などの思想がありまして、その中間に「善と悪の闘争」があります。

この2元論的な神義論は、この世は善と悪の闘争の場であり
いずれ2つの神の最終戦争によって、雌雄が決せられる。という代物
その系譜にはゾロアスター教があり、その系譜にマニ教などもあります。

というわで、今日の思索はここまで

今起きてる事象の根源的な意味を探り、理解し対策を練るのに不可欠な
この思索の遡上作業。

次回からは、いよいよ哲学以上にめんどくさくなりそうな
世界宗教を1つずつサラッと掘り下げていくとしますかね。


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