水木しげる氏が他界された。
氏の妖怪漫画はもちろん
戦記物も学生時分に何度も何度も読んだ。
「戦争はバカバカしく悲惨で愚かな行為である」
というのが淡々と描写されてたのを強烈に覚えてる。

あの時代を体験した戦中派世代には思想の左右関係なし
もう兵隊をモノ扱いして簡単に殺すような時代にはしたくない。

というコンセンサスがあったように思う。

タカ派と言われた中曽根康弘だってそうだし、
安倍政権ベッタリの読売新聞のドンである渡邉恒雄だってそうだ。

満州へ行った今は亡き自分の祖父だってそうだった。

ここからは脱線するけど

今のハードコアなニートは勘当同然なんで出入り禁止である
名瀬市内にある実家の片隅には鍵がかけられた倉庫があり
子供であった自分がいたずらするとヤバイ道具
すなわちイノシシ狩りの猟銃などの危険な道具等が保管されてたのだが、
そこには祖父が満州へ出征した際の真剣であろう軍刀や
あの星のついた日本陸軍の帽子などがあって
妙に生生しく幼子に恐怖を抱いたのを覚えている。

軍刀や装備品から将校であったのは間違いなく
戦後は役人となり退職後も起業した成功者であるのだが
結局のところ死ぬまで戦争について何も語らない祖父であった。
(それが逆にどんな酷い状況だったのかを暗に感じた)

そんな実家の本棚には
太平洋戦争の写真集や戦記物などがたくさんあり
それを小学生時代から片っ端から読み耽り
映画も太平洋戦争モノは殆ど観て
日本軍の飛行機から軍艦までプラモデルを作って遊び
旧日本軍の装備や兵器について書かれた読み物も熟読し
それはまあ詳しくなったもの。

真珠湾で空母を見逃しただの
ミッドウェーの兵装転換どーのだの
敵に対して通商破壊戦ができないだの
まともな液冷エンジンや過給器が作れなかっただの
B29の航続距離内に進出された時点で勝負あった。
だの、まあガキの頃から戦争博士。

しかし、それも物心つき
中学時代に社会科の教師に歴史認識について質問したのを
見事はぐらかされたのをきっかけに
まさに戦後日本の欺瞞を肌で感じるようになり
(この戦後教育から反動右翼になってるのが多いのはご存知の通り)
パンク・ロックや各種文学などの影響もあって
まさにいわゆる左翼的な自分のコアが発芽

元来、日本軍の装備や作戦行動について詳しかった分
その愚かさをより論理的に考察できるようになり
自虐史観などと言わた教育とは別次元で独自の歴史観は勿論
ハードコアなニートに至る独自の哲学を育めたのは
この自尊史観が全盛の時代に先駆けて幸運であった。

何よりも最大の影響は親父であって
早稲田大学在学中に学生運動に明け暮れた親父の書棚には
ソクラテスやプラトンやサルトルやニーチェやハイデッカーやら
まあ、あらゆる哲学書やその周辺書物が満載
勿論マルクスやケインズなど経済学の本や
文系だけでなく建築や測量など理系なども得意であったので
その辺の本も多数あり、まだパソコンがマイコンと呼ばれ高価だった時代
PC-8001というマシンでNHK教育「マイコン入門」のテキスト片手に打ち込んだ
今思うとホントにショボいプログラムやゲームを
テープ(フロッピーなんぞない)に吹き込んで保存したりと
そんな親父の遺産は今も個人的なコアを生成。

個人的にはハレー彗星を機に
一時期は天文学を独自に掘り下げたりしてもので
それも親父の病魔の悪化と共に
当然、経済的な問題から大学進学を諦めて以降は疎遠となりに
嫌でも世の中の不条理に対して真剣に向き合うようになった次第。

そんな万能型で優秀な親父だからこそ
扱き使われて出世もせず早死するのは日本軍と同じ

そんな今は亡き親父の兄弟は末っ子にも役人がいますが
そいつはスポーツしか取り柄のない(これも中途半端)
身内ながら東洋大学というクソバカでも入れる
大学と呼ぶのすら恥ずかしい3流大学出身ですが

そんな書棚にはノストラダムスの大予言とかしかなかった
無能こそ出世して貴重な社会的なリソースを
無駄食いしてるのが何ともこの奄美や日本らしい現象であり
身内ながら恥ずかしい限りですが
(向こうは逆だろうが)

まあ、そんなこんなで身を以って色々と日本の理不尽を体感し
独自の視点を持てたのは
この悪政政権によるディストピアが全開の今
実に幸運であったと改めて思う次第。

そんなかけがえのない視点を与えてくれた
故人である水木しげる氏や親父には本当に感謝あるのみ。

しかし肉体は死んでも著作や思想だけは後世に残ります。
再び破滅の坂を転げる酷い時代をサバイブする糧として
残された我らはそれを引き継いで活かしたいもの。
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