心眼で見極める真贋

何やら最近
ミドルエイジクライシスとか老後の不安とかよく聞きますが
このハードコアなニートにはあんまり関係ナシ

昔から
今やロートルでアナクロな哲学的な価値を最優先に考えてきた
マヌケでハードコアなニート

刹那に生きていた頃は老化に対する恐れもそれなりにあったのですが
今やそんな恐れもないというか

刹那や自己や物欲中心の世界で流されていた若き時代に
見過ごしていた箇所にこそ
世の中の真贋を見極める鍵があったのに気付いてしまい

まあ、そんなわけで最近は生き急ぐ必要も孤独を恐れる必要もないというか
そんなことより瞬間、瞬間を噛みしめるというか

今までは流されていた時を捉え
じっくりと味わう心眼こそが何よりも重要だと思う次第

それは単純な精神主義やミニマリズムでもなく

むしろ物質的な価値観における真贋をより見極めるための心眼

これを意識するようになると
日々歩きながら眺める川面の揺れの美しさ
夕景の視覚的な美しさだけでなくその匂いの素晴らしさや
空間の密度の変化までインチキな自己啓発本なんか読まずとも
自然と意識できるようになり
そんなスルーされてたポイントへ正しく自己啓発的な価値を見い出せるようになると

当然、価値判断も世の中への推察力も良い意味でソリッドになるわけで

何がインチキで何が本物か?

見極めるのは当然ですし
敢えて自己犠牲という本質的には自己中心的な出発点でなく

敢えて自己中心的で物欲中心的な価値観を出発点に物事を捉えるからこそ

一人一人が整数のようにそれぞれ違う中
何が最大公約数的な多数の幸福へつながるか?

自動的に見えてくるわけで、そういう真贋を見極める心眼を磨く日々

そういう眼で世の中を見通すと
老後の不安なんぞ恐れるに足らない自己中心的な問題だと認識できますし
野垂れ死にの未来だろうとその過程の中に
真の意味での自己中心的な価値を見い出せるわけで
美学や哲学も自ずと算出されるかのように表れる次第

そしてそんな心眼を通すと安倍政権はこれ以上ない
インチキな贋作で多数の幸福を阻害する明確な”敵”だと認識され
今こそ
真の意味での自己中心的な自己防衛を全力で発動する時代だと見えてきます。

反知性主義なんて言葉をよく聞きますが
知性へ抗う反知性こそ真の意味での知性が誰よりも必要なのです。

そんな米国で生まれた真の意味での反知性なら大歓迎なのですが
残念ながら、この国の反知性は知性に対する嫉妬的な心情をステルスするだけの
贋作的な意味でしか使われていません。

そう、自己犠牲を追求してるつもりが自己中心を追求してるようなもので
この国が未だに多数の幸福を自分たちの手で追求できないのは
そういう悪い意味での自己犠牲を追求する国民性にあると踏んでいます。

わがままだからこそ自己犠牲も追求できるわけで
個人も尊重できないなら多数の幸福なんて見えてこないのは当然

そんな自己犠牲こそ自己中心的な悪意に最も悪用されるのです。
そうあの戦争で多数を自己犠牲の地獄へ叩き落とした安倍政権の祖先のように

出発点を履き違えて物事を捉え邁進しても
真贋を見極める心眼は絶対に得られません。


そういう意味で不惑なハードコアニート
今後もわがままで気ままを貫き通し自己を出発点に
多数の人々が時代をサバイバルし幸福追求するのに必要な武器を
徹底的に追い求めていく覚悟であります。
スポンサーサイト

コメント


管理者のみに表示

トラックバック