守る価値と虚無を自問し続けた三島由紀夫

さて、個人的に深く潜行し自己防衛と自省の日々を過ごしてる
ハードコアなニートでありますが
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そんな個人的な思索の旅と全く共通するテーマを問いかける
思想の左右をも問わない実に有意義な番組をやっておりました。

以下に書くことはある種ニヒリスティックな潜航生活の本質へダイレクトに通じてますので
敢えて徹底的に長くじっくり書きますのでご容赦をば。

でも、その日本という本質を探る読み応えは保証しますよ。

安倍政権以降
ここのところ戦後レジームからの脱却だの右傾化だのと世間ではやってまして
明日の午後も関西ローカルの右翼番組で言いたい放題やるでしょう。
しかし
安倍政権や現代的右派の愛国的な思想とすら呼べないそれが
都合の良い経済的利害関係だけを基にした
如何に空虚で中身の無いシロモノか?それを証明していて
まあ、個人的なイデオロギーや思想的には別ベクトルではありますが
その思索的な深度においては
安倍政権やその取り巻きの自称右翼とは比較にすらない
”日本”とは何か?
自衛隊が”守る価値”とは何か?
それはあるのか?
徹底的にストイックに問いかける
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大本営発表化した日本のメディアでは
まあ、お目にかかることのない
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右にも左にも相通じる本質的な思索の旅を常に行い
それを己の身で体現してきた数少ない貴重過ぎる存在が三島由紀夫
思想家としては極めて誠実であったと思います。

まさに日本とは何か?そこで生きる自分とは何か?
それを真摯に深く追求し続けた存在して
個人的なイデオロギーでは別ベクトルながらも
何故か相通じるその存在をフィルターにして
個人的に抱える日本という価値や存在を問う
その思索的な旅を浮き彫りにしたいと思います。
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さて、三島由紀夫
皇族や華族が通う学習院で学んだその生い立ちは
まさに日本という価値を本質的に問うにはナチュラルボーンな存在で
その肉体的な虚弱さも欧米という色々とマッチョな存在に対する
日本という存在をある意味、体現してまして
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官僚という恵まれた家系に生まれながらも
自己の存在や日本という存在の本質を思索するその姿勢や存在は
当然、利害関係優先にになった戦後日本でも類を見ないのは当然

その鋭い感受性は類は友を呼び、日本という存在から次第に浮いていくわけで
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保守化し右傾化するとされる現代の若者とは根本的に違うのは
世界を意識し日本という存在を常に相対的に考え
本質的な価値の思索をストイックなまでに深く深く行った点

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それは次第に内的な方向へ向かい
自己が本質的に持つ肉体的なコンプレックスへ向かう様は
日本という存在をも象徴してるように思いますし
個人的にはベクトルや方法論こそまるで違いますが
退廃した快楽主義的なロックの価値観へ中指立てて
徹底的に自制的な価値観を標榜した
ハードコアパンクのストレートエッジにも通じる姿勢を感じます。

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その時代を見抜く目は誰よりも的確であって
誰よりも本質的な問いかけを行う貴重な存在だったのです。

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そのストイックなまでに本質を追求する様は
思想的に相容れないながら個人的に決して馬鹿にできるシロモノではなく
というか、今まさに個人的に深く思索する旅と相通じるシロモノで
まあ、今の経済的な利害関係だけで生きる戦後の日本では浮世離れしながらも
実に本質を突くシロモノ

戦後レジームからの脱却とか口では勇ましい憂国や愛国や伝統回帰を唱えながらも
他国の伝統的な価値観を簡単に踏みにじる
対テロ戦争へ安易に突き進む今の日本への違和感にも通じます。
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その本質的な価値を探る思索を基にした存在は
はまさに思想的に正反対の立場にある当時の学生運動家にも響かないわけがなく

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利害関係しか頭にない為政者なんかより
遥かに彼らを理解し分析していたのは「近代ゴリラ」とバカにしていた三島由紀夫でしょう。

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その常に思想的な本質や”日本”という国に対する普遍的な存在意義や価値を探る存在は
皮肉的にも学生運動家にとって為政者なんかより遥かに話の通じる相手だったのです。

思想的に逆な存在でも本質的な思索の原点が同じなら
話が通じるという見本でもあり
逆に思想的な立場は同じでも根本的な原点が違えば
強烈な違和感が生じるという見本でもあります。

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そして、あの事件を実行し
その自らの思索的な旅の結論をその身で体現したのです。

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その事件はまさに今のイスラム信徒にも通底する
利益よりも大義を優先させた行動でして
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このハードコアな行動に対する
戦後の日本のタカ派とされる為政者のや社会の反応が全てを語っていまして
口ではどんなに愛国を語り神社へ参拝し天皇を語っても
日本における本質な価値を徹底的に探り
それを更に突き詰めていくハードコアでピュアな行動に対して
利害関係を優先する存在の反応はコレ

その愛国的な行動が大国間の経済的な利害関係に基づいた
如何に本質から外れた欺瞞に満ちた偽物であるか証明してる次第でして
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その本質的なアイデンティティより経済的な価値を優先する戦後の日本
逆に言えば、その経済的な価値が下落したらまさに全てが虚無へ帰して中には何も残らないわけで
そんな存在を自衛隊という存在を使い守る価値があるのか?

まさに三島由紀夫はそういう欺瞞をダイレクトに突く問いかけを
その本拠地で行ったわけです。
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個人的には戦後の日本の価値観より
三島由紀夫の本質的な価値を思索するピュアな姿勢にこそ敬意を表しますね。

まさにその思索の旅は
日本という存在そのもの探索する旅で
最後はそれを己の生命すら使い体現した、為政者なんかよりは遥かに高潔な存在でした。
そんな憂国や愛国的なヒロイズムに一応リベラル寄りなマヌケは共鳴こそしませんが
欺瞞でない純粋なその行動には最高レベルの尊敬はします。

前者は今や安倍政権のように右翼的な価値観すら
自己の利害関係へ利用する存在まで行き着くと軽蔑すらしています。

おそらく三島由紀夫が存命中なら今の右翼を称する連中をこそ憂いていたことでしょう。

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そして、その遺作もまた自決と同じく今の日本という存在へ対する
強烈なアイロニーであり
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今の経済的な価値どころか
人間そのものすら空っぽになりつつある日本を暗示する内容でした。

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そんな三島由紀夫の感じた虚無を今
まさに自分が感じ、それへ対する自己防衛策をこんな深夜まで思索する日々なわけです。


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そんな三島由紀夫が思索し表現した日本
その本質的な価値が今まさに問われているわけです。

生命を賭けてまで、今の日本に守る価値があるのか?

まあ、周りに流されて思慮浅く経済的な価値優先で惰性で生きるのはラクですし
その延長線にある保守や愛国を口で言うのは簡単ですし
惰性的に上の命令通り行動して戦死するのも
三島由紀夫の徹底的にストイックな思索の末の行動に比べるとラク

ですが、その経済的な価値が市場でシビアに問われるように
いずれ、その価値もあの戦争の時のように
嫌でもシビアにかつ本質的に判断される局面が必ず訪れます。
それを考えず日々の上辺だけの経済的な利害関係の中で生きるのは
何度も言うようにラクですし大勢がそう。

だからこの国の歴史はイージーに繰り返すのです。

でも、個人的にはそんな大勢の海から
より深い場所へ思索の潜航生活を今後も続けるつもり。
自己防衛のために
その大事さを三島由紀夫は教えてくれます。
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