象徴

今後、国粋主義や自尊的な国家観が加速するであろうご時世
それへ対してパーソナルな楔を打つべく
この国の内部で、のほほ~んと同調していては絶対に得られない
サッカースペイン代表のような俯瞰した視点で歴史を眺め
その事実とやらを探求していきたいと常々考えておりまして

それを探るのに最適な対象の一つが、この国の象徴である天皇や皇統

最初に前置きしておきますが、自分はことさら日本を貶める
自虐的な歴史観を主張するつもりもないですし
日本は素晴らしいんだ!という
自尊的な歴史観を持つつもりもありません。

最近は色々と識者とやらが難しい見解を述べたり
感情的な意見を述べたりして、色々と天皇制や皇統について論じられていますが

自分が思うに、世界最長の皇室こそ
主体性のない日本国民の歴史そのものであり
その象徴

だと思っています。

それは別に否定も肯定もしないですし
極めてニュートラルでシンプルな歴史的な本質だと個人的に捉えています。

戦国の世ですら物事を自分らの手で決めず、
天皇制というワンクッションを置く
主体性の無い民族性が良い方向に作用した時代もありました。

だからこそ天皇制が長く続いたわけで
革命や動乱の矢面に立つこともなく
欧州の王室のように戦場の前線に立つこともなく

世界最長の皇統を継続するに至ったのです。

ですが、それは同時に
世界でも類を見ない
生きた権力者を国民全員で神と崇める狂信的な国家体制という
モンスターを生み
原爆を落とされるまで暴走を続けたのも事実。

そう、8月9日に生まれた自分は誤解を恐れずに敢えて言いますが
日本国民を解放したのは皮肉にも原爆なのです。

こんなこと言うと今での非国民扱いされそうですが
確かに原爆は一方的な大量虐殺であり人道上も許される行為ではありませんし
その行為自体は国際法などに照らしても、一方的に非難されて然るべき行為です。

民間人大量殺戮である都市爆撃は
日本が先んじて中国の重慶で行っていた事実もありますが
この際それは、置いといて

重要なのは米軍がそういう非人道的行為に及んでも
良心の呵責に苛まれずに済む非道性が日本にもあったということ
だからこそ、米国は今でも謝罪もしないですし
それは米国側の正義に照らし合わせれば正当なこと。


そして、それは国際的なコンセンサスも得ていて
だから米国は今も堂々としていられるのです。

じゃあその世界初の原爆投下という行為に対して
米国の正当性を主張するに足る、日本の非道性とは何か?

その日本の非道性こそが
天皇や軍人を神に担ぎ上げて
立憲主義とは名ばかりの薩長閥などを中心にしたカルト的軍国主義であり

民間人にまで竹槍や手榴弾を持たして
一億総玉砕まで突き進んだ世界初の生きた権力者を神とした大日本帝国の狂信性。

そう、当時の日本の民間人は他の国の民間人とは極めて異質な
まさにオウム真理教やイスラム原理主義者が1億人単位で存在していたようなもの

米国大統領のトルーマンは18発の原爆を投下する書類に
署名した事実が後に明らかになっています。

ぶっちゃけて言えば、狂信者ばかりの
日本本土には沖縄に比べて上陸作戦するほどの戦略的な価値がなかったのです。
そのリスクと照らして

これは日本国民は目を逸らさず強く認識すべき歴史的な事実です。

歴史を俯瞰してみると、よく解りますが
地政学的な価値のある沖縄までは狂信的な神風攻撃に耐えながらも
米国はシンドイ上陸戦を展開しましたが
日本本土には普通に上陸すると
民間人も含めて一億総玉砕でカルト的でゲリラ的な消耗戦が展開されるのを
まさに沖縄で身をもって知っていた米国

そのリスクを回避し
貴重な米国の軍事的リソースを無駄に消耗させない戦略的な兵器として
原爆を使用したわけでして
最大18発(能力的には疑問符はつくが)も予定していたのです。

それでも屈服しない場合は上陸作戦を用意していましたが
最初から本土は原爆や焼夷弾で焼け野原にするのが米国側の既定路線

現代のように商売ベースで戦争する時代でもなかった(その要素はあったが)ので
ただでさえ欧州と太平洋で分散した兵力の消耗を避ける必要があったのです。

原爆投下は必要なかった

とか

人体実験であった

とか主張する論者もいますが
残念ながらそれは後付けの日本側の見方であって

原爆投下が必要ないほど弱体化してるのならば
さっさと降伏すればいいわけで
それどころか世界初の軍隊が集団的かつ狂信的に自爆攻撃するまで
戦線を維持し続けた日本のクレイジーな軍部に全ての原因と選択権があったのです。

逆に1億総玉砕や徹底抗戦と言いながら
2発であっさり降伏したともいえるわけで

あの戦争の戦没者の大半が戦争後期に集中していますし
ドイツやイタリアとは明確に違う
自爆攻撃や玉砕なども厭わない狂信的な国家体制があったからこそ
あそこまでダラダラと福島の住めない不毛な土地へ希望を待たせるように
戦争が延び原爆投下されるまでに至ったのです。

世界初の原爆を投下された背景には、
世界初の権力者を神と崇め軍人はおろか民間人にまで
命を捧げさせる狂信的な国家体制という、それ相応の理由が明確にあったのです。

折りしもD-DAY直後ですが
そんな狂信者が1億人もいる島国に上陸作戦しますか?

北朝鮮やナチスやイスラムどころではありません。
軍民総出で集団的に自殺攻撃を仕掛けてくるのです。
(ナチスにもエルベ特攻隊など体当たり戦法はありましたが、生還前提です)

自分が当時の大統領でも原爆投下を指示するでしょう。
残念ながら
(もちろん平和主義者なので核兵器自体は否定する立場ですが)

これは日本国内にいると今でも完全にタブー視され非国民扱いされかねない
物言いですが
紛れも無い歴史的本質なのです。

そう、それを踏まえると
そんな狂信的な国家体制の象徴である天皇制や皇統を

なぜ米国は処断しなかったのか?

答えは簡単でして
俗に言われる日本が内乱になるからというらしい説は
半分当たっているのですが

理由はオウムの麻原彰晃をさっさと死刑にしないのと一緒

狂信者の教祖をいきなり死刑にするのは実に簡単で
その大義名分も十分でしたが、敢えて処刑ではなく

人間宣言

させたのも、狂信的な国家体制の洗脳を説くためであり
ここでも日本国民の主体性なき国民性が完全に証明されるわけです。

本来であれば洗脳解除と国家解体後はソ連と米国による分割統治もあり得たのですが
急進的に勢力を増してた共産主義へ対向するため
民主主義の橋頭堡として平和憲法という
これまた世界初のシロモノが据え付けられたけで

ある意味、それも暴走した日本国民を強制的に縛るには
そのくらいの大きな反動が必然であったといえましょう。
(同じ民主主義の橋頭堡である韓国や旧西ドイツには平和憲法はない)


そして、また自分でモノゴトを決められない国民性は
そういう米国により解放された価値観や歴史を修正し
元の狂信的な国家体制へ回帰しようと策略してる連中を堂々と台頭させておりますが

まさに米軍が日本に駐留してるのは
そんな日本を守るためでなく監視するためなわけで
その事実は一般的な日本国民として暮らしてると気付かないもの

まあ、そんな恐ろしいまでに横並びな国民性
あの原爆を落とされるまで暴走するモンスターを産んだ国民性

そこから距離を置くのが今も昔も自己防衛の基本でしょう
あの戦争から生き残って価値転換した人々の声も貴重ですが

あの戦争中に狂信的な国家体制に反対し弾圧され歴史の闇に消えた人々
今は聞けないその人々の主張こそが何よりも貴重。

生き残った人々はそういう狂信的な国家体制へ迎合していた人々が大半でしょうから

そんな良い意味でも悪い意味でも
主体性なき民族性の象徴こそが天皇制なのであります。

しかし、それを否定もしませんし、どちらかというと肯定的ですが
主体性なき民族性からは極力、距離を置くようにしています。

その狂信性や軍国主義の象徴である靖国神社は全否定しますが(笑)
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