全ては必然だったなあ

さてさて、フルスイングで豪快に人生を棒に振りまくっている
ハードコアなニート

でも、全く後悔してないどころか、今が一番に楽しいですね。

だって徹底的にしょーもないムラ社会から距離をおいて相対化しつつ
ケラケラ笑いながらその顛末を傍観できるのですから
こんなに楽しいことありません。


それもこれも経済的にも精神的にも社会的にも
ついでに曲がりなりにも
スタンドアロン(そういう意味ではネットは完全な社会)な環境をキープできているから

そんな間抜けですが自由なニートちゃんの基礎を作ったのは
学校による教育でも何でもありません。

いやいやホント物心ついた時には
完全に学校教育には懐疑的でしたからね。

今日はちょいとその辺の話でもしますか。

喜界島という小さな島で生まれた間抜けなニートちゃん
貧乏な小役人の家で幼少期を過ごしましたが
今の自分の基本を育んだのは、間違いなく学校教育なんかでなく

実家にあった百科事典に世界文学全集
そして、デカイ地球儀と広大な太平洋を望む抜群の自然環境

それが全ての基本でしたね。

特に百科事典と世界文学全集で得た知識は今でも感謝していて
幼少期に読んだ「宝島」や「西遊記」から始まり

その後思春期まで、当時の少年たちと比べてみれば
それなりに文学作品は読んでいたように思います。

今、思えば本当に色々と読んでましたね~

村上、それも龍の「愛と幻想のファシズム」とか
田中康夫の「なんとなくクリスタル」とか

まあ、思春期で感受性が無限大に近い当時の間抜けには
時代に漂う浮ついたインチキ臭い空気感やらをダイレクトに感じたりましたが
一切影響は受けませんでしたね(笑)

それと何故か当時の米国セレブの私生活を基にした
浮ついた文学シリーズみたいなのをやたら読みまくってたのをうる覚えていて
なんとなく資本主義を理解するのに役立ったかもです。

でも個人的に一番衝撃的だったのは
やはりロシア文学ですかねえ

結局、今も読み返すのはトルストイやらドストエフスキーですし
思想的な想像力を育んだのは、そういう普遍的なヒューマニズム溢れるロシア文学による影響が大

その延長線上に政治や経済などへ対する興味やスタンスも生まれたように思います。

更にそれに加わったのが、これまた学校教育でなく
バブル期で絶頂を極めていた当時のサブカルチャー

幼少期はNHK教育とNHK特集以外は
ほとんど見れない厳格な家庭環境で育っていたので
下品なバラエティ番組やマンガや音楽などの
大衆的な文化に対して普通以上に貪欲だったような気がします。

そんな数少ない情報量ながらも、今思えば核になる部分が
周囲と違ってしっかりしていたので、まあそれは覚めた?
つーか、誰にも心を開かない完全に冷めきった少年の完成でして
仲が良い仲間にも最後までその内実は明かさず欺いてましたね(笑)

中学2年くらいには、もう完全に社会科の教師なんか馬鹿にしてましたし
今もそれは一切ブレていません。

その辺で学校教育より社会?的な意識に目覚めてました。
学校でも放課後でも

完全に別人格ちゅーか
今でもそうですが、コアになる部分は一切誰にも見せず
信じられるのは、自分だけ
つーのを意識していて

そんな時に
FMラジオから流れるPUNKに出会って
クラシックの全集やらを窓から投げ捨てたりするわけですが
その辺のお話は長くなるし、以前も話したので別の機会に

そんな感じで若い時からハードコアなニートのエリート街道を爆走してきた間抜け
先生に質問なんか一切してなかった間抜けですが
唯一社会科の教師に戦後日本の歴史認識問題について質問した時がありまして

見事に曖昧な返答

今でも覚えていますが
そこが完全にターニングポイントでしたね。

雷で打たれようなムカツキ感と直観的に
「あ、この延長線上に自分が学ぶコトはないな」
「それより現場や文化で学ぶべ」
「つかそれしか信じられね~」

って
強烈に感じたのを今でも覚えています。

そんな時期から資本主義を強烈に意識するようになり
ベルリンの壁崩壊やら東西冷戦終了やら
強烈な価値観の転換に
教師ですら右往左往していた時代

やっぱり学んだのは学校教育でなく
F1レースやらPUNKロックやら

当時大ブームだったF1レースも勉強になりましたね。
高校卒業と同時に死んだ今はなき親父が
強烈にファンだったのが本田宗一郎

学生運動犯として逮捕された過去をもつバリバリの団塊世代である親父が
思想的な闘争の最前線からど田舎の小役人という立場に至るには
個人的に相当な葛藤があったはずで
役人になっても保守思想やマルクス的な価値観の間で揺れ動いましたね。
幼い自分ですらそれを強烈に感じていたのを覚えています。

おかげで色々とおこぼれに預かれ
プラトンやらサルトルやらニーチェやらのご本をタダで読めましたが(笑)

その辺の団塊世代的な思想的葛藤を補完し
見事に投影していたのが本田宗一郎と
F1におけるホンダの活躍だったような気がします。

あの辺の時代はほんと
色んな意味で戦後の日本的価値観の頂点でした。

そんな絶頂の直後にバブルが弾け親父も死ぬわけですが

今思えば全てが必然

幼少期から周囲へ対してどころか身内にすらも
完全に猫かぶっていたハードコアなニート

やはり、そんな誰も信じない
誰にも見せないハードコアなパーソナリティの核になったのは
学校教育なんかではなく映画や音楽や文学といった文化
img_1.jpg

Charlie-Chaplin-in-Modern-Times-Wallpaper-classic-movies-5867991-1024-768.jpg

当時NHKで見たチャップリン映画は
未だにこのハードコアなニートの価値判断の基本というか
ライフスタイルにおける核になっていまして

まあ、どんな学校教育よりも資本主義社会における
生き方やスタンスを教えてくれました。

その後愛知県の巨大自動車会社へ就職し
資本主義とパンクロックの最前線へ身を置き
若きフィアンセとの死別という過酷な経験があるまで
これまたどんな学校教育より社会の本質を洞察する力を色々と得られました。

Chaplin, Charlie (Modern Times)_02 JT

まあ、帰郷後も結婚&離婚やら
色々と社会の荒波に揉まれがら漂いつつも
このラストシーンのように
どんな酷い状況でも常に前を向き
醜く生きるくらいなら野垂れ死にを選ぶ価値基準や
自由に社会を泳げる力や視点を与えてくれたのは
そういう文化であったり過去の環境であったりするわけで

働きたい時に働く、働かない時には徹底的に働かない

自分がされて嫌なコトは他人へするな

自分のことは自分でやる

といったハードコアなニートちゃんの基本理念を育んだの
全てそーいう存在

今思えば、いや、今思っても全てにおいて
いや
全てが必然でして、その全てに感謝しています。

そんなお話でした。
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