2017年02月05日の記事 (1/1)

今こそ観たい「カッコーの巣の上で」

最近の映画も良いですが、こんな激動する時代。
ロボットのように血の通わない体制により、個人の尊厳が蔑ろにされ
人間とは何のために生きているのか?何が善で何が悪か?

その根源的な問いも利害のために爆速でおざなりにされ
障害者ですら一億総動員な政権の役に立たないと
施設職員による独善的な優性思想で殺され、その事件すらあっという間に忘却の彼方。
実に困ったもんですが

そんな時代、作品のレビューに入る前に少々前置きすると
小説なら、トルストイ、ドストエフスキーどちらでも良いですから
ロシア文学の古典を読めば、現代でも十二分に通じる
普遍的なヒューマニズムの基礎を汲み取れます。
そこから各自、今の時代を生きる上での人格的な核。
それを形成する思想哲学や倫理の個人的な掘り下げを開始できますが
映画なら個人的に今こそアメリカン・ニューシネマですかね。

人生で初めてド田舎の孤島の寂れた見世物小屋的な映画館へ親父に連れて行かれ
デヴィッド・リンチ監督の「エレファント・マン」を小学生で観た身
見世物小屋的な場所で最初から人間の根源の根源を問う作品の洗礼を受けたのは幸運であり
ただでさえ娯楽の少ない離島。
ビデオレンタルで親父が借りる「イージー・ライダー」など
希求する自由やそれを弾圧する体制に対する個人の限界を示す
刹那的な前期アメリカン・ニューシネマや
「明日に向かって撃て」や「真夜中のカーボーイ」など中期も含め傍観してましたが、
なんとなく人間にとっての普遍的な指針は朧げながら汲み取ってました。
チャップリン作品等もそうですね。

まあ、亡き親父が早稲田在学中に学生運動で逮捕された筋金入りの反体制野郎なんで
その血を引いてるといえば、それまでですが
こんな時代。今、改めて観返すと個人的なコアとして血肉化してるのが強烈に解ります。
一連のアメリカン・ニューシネマの中でも、
「タクシー・ドライバー」など後期の自分で掘り下げた作品は
今でも個人的なコアを形成するのに大いなる影響を与えております。

そんな中、とりわけ好きなのが

精神病患者の隔離病棟を舞台にした「カッコーの巣の上で」

言わずと知れたアメリカン・ニューシネマ後期に輝く名作ですが
やはり素晴らしいです。

ジャック・ニコルソンのニューシネマといえば
「ファイブ・イージー・ピーセス」なども味わい深いですが
コレは別格でしょう。

原作や脚本も秀逸ですが、低予算ながら実に個性溢れる各俳優陣の熱演により
普遍的なヒューマニズムを見事に描き、観る者へ思想的、倫理的な問いを強烈に投げかけます。

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秩序を乱しながら誰よりも人間的なマクマーフィーと
秩序に従順ながら誰よりも機械的で冷徹な婦長一派

その対立軸の中で”善悪一体”の普遍的なヒューマニズムが描かれていくわけです。
人間、何が楽しくて生きているのか?もっと言うと、何のために生きているのか?
悪や善なんて簡単に決め付けられるものではないですし
人間の根源的な尊厳なんて、人種や性別や出自や能力差を問わず
神様や悪魔ですら不可侵な領域なのが汲み取れます。

以下、多少ネタバレになりますが
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病院を脱走してビッチちゃんや患者仲間と共に院長の船に乗り
釣りをして帰還した時のこの笑顔
治癒されるはずの病院内では見せないこの満面の笑み
このワンカットが人間の主体的な幸福追求の本質を全て表してるわけで
無論、社会規範に照らせば行為自体が悪いことなのは明々白々なのですが、
人間というのは、ロボと違い感情の生き物。

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そのナーバスな領域を司り病んだ人間を癒やすはずの精神病棟が
利害やそれに伴う社会体制や秩序といったシステムを盾に
本来なら尊重されるべき個人の尊厳を蔑ろにし
システムへ従順になるようロボトミーに破壊していく様が描かれるわけで

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この作品は低予算で血糊など今となってはショボいですが、
その何一つムダのないカット描写とテンポ
その視線や表情だけで
人間の皮を被った冷徹なシステムとそれに対峙する”人間”
その感情の変化と対比が実に見事に描かれてまして
ジャック・ニコルソンだけでなく
婦長役のルイーズ・フレッチャーもオスカーを受賞してるのは納得です。
つか、全員に賞をあげたいですけどね。

自分たちが利害や秩序のために正義だと思ってる行為でも
人間の尊厳を踏みにじる行為であり、
一見秩序を乱す野蛮な行為でも
人間の尊厳を尊重し自由を希求する行為である。

神様ですら簡単に決められない本質的な問いを投げかけてまして
この作品から何を汲み取るか?
それによって、自分が”利害”と”人間”どちらが側にあるか?が、明確になるわけです。

ネイティブ・アメリカンの巨人チーフが投影役になり
音楽も実に素晴らしいこの作品のラストはクリント・イーストウッド監督の
同じように人間の普遍的な尊厳を問う「ミリオンダラー・ベイビー」に通じますし

個人的なコアになってるこの曲にも通じます。

まあ、簡潔に言えば実にパンクな映画ですよ。

この視点は激動する不寛容時代では特に重要です。
とはいえ、エモーションで”偉大な大作”志向の大統領の国には悲観していません。
激動の時代にこそ、こういうアメリカン・ニューシネマの如く
思想哲学的な自浄作用が働く、なんやかんや単純なようで奥深い国だからです。
それが働かないならアメリカもいよいよ終わりでしょう。


それよりも問題なのは、そういう普遍的なヒューマニズムすら汲み取れず
簡単にシステムの一部として感情的に自爆マシーンとして暴走、弾圧するこの国。

隣の国のように強権的なシステムこそ
その秩序維持に感情を利用するものです。

知らず知らず巨大で冷徹な一億総動員なシステムに取り込まれる激動の時代だからこそ、
人間が人間で在れるように
愚かで野蛮でも確固たる自分を持つことを推奨します。

それが、かのスティーブ・ジョブズの至言にも通じる本質でしょう。

狂人はどっちか?世の中わからんもんですよ。ホント
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