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 【11//2016】

さて、長らく間が空いたハード・コアなニートによる思索。
この自国最優先な思考無き時代における、真の意味での人間性の回復作業ともいえる
面倒くさい作業をば再開したいと思いますが

前回までは、哲学、宗教、ときて、第3ステージである政治思想の序章
そこまでいきましたが、その原始的な人治主義から
いよいよ近代的な政治思想を、例によってサラッと遡上していきたいと思います。

原始的な共同体から徴税により運営される近代的な国家へ成長した人間社会。
ほんのアウトラインでもそれに至る基本的な流れを頭に入れておくと、
立法府の長なんてのたまう首相のデタラメさも即座に看破できますよ。

CIMG0924.jpg
これが近代的な政治思想の大まかな流れ、フロー図ですが、
マキャヴェリの名を使ったマキャヴェリズムから始まる近代政治思想。

そのマキャヴェリズムですら「目的のためには手段を選ばない」
という非道徳を肯定するかのような俗説がまかり通っておりまして
坂口安吾の堕落論もそうですが、
そんな俗説はエゴにまみれた非理性的な自己肯定に都合良く使われるものです。

CIMG0925.jpg
マキャベリのマキャヴェリズムも理性を否定したものでは一切なく
宗教的なタブーに縛られ、行き過ぎた封建的な政治体制に対する理性的なカウンター。
それはウィルトゥとフォルトゥナという2つの概念で説明されていて
例によって割愛しますが、倫理に縛られて硬直化するより政治的に役立つのであれば、
欺瞞や裏切りや賄賂等、倫理的には不道徳とされる行為ですらも使用可である。

と、あくまでも理性的に定義したわけで

早い話、宗教や倫理に縛られ硬直化していた政治というシロモノを
解放し、独自の分野として開拓する基礎を作ったのがマキャヴェリとマキャヴェリズムなのです。

そんなわけでイタリアどころか
現代ですら曲解した俗説が未だにまかり通るマキャヴェリズムは早すぎた政治思想でした。

16世紀のルネサンス期になると欧州ではカトリックとプロテスタントによる死闘が起こり
その果てに、ようやく主権国家という近代的な政治的概念や、
思想の諸派が誕生していくことになります。

その象徴的な言葉が、アンリ4世による「パリはミサに値する」
(フランス国王になれば、カトリックに改宗するのはお安い御用さ)

つまり、それまで一体化していた政治と宗教が、ここでようやく思想的に分離された次第。
それを定義付けしたのがジャン・ボーダンの「国家論」
法と王権を上に置いた中世的な国家概念に対し、国家主権を絶対とする近代的な政治思想が提示され
その政治思想的なカウンターは、後にその深度を深めていくことになります。

さて国家主権という対内的な政治概念が定義されると、
対外的な国家間の政治概念も思想的に再定義する必要になるわけでして

CIMG0926.jpg
それは海洋覇権を巡り利害関係が対立したスペインとオランダという
海洋国家間によって生まれ、
グロティウスにより「海洋自由論」や「国際法」という概念によって定義されます。

その概念は21世紀の今も近代的な政治思想概念の一つとして
国際的に定着してるのはご存知のとおり。
(最近は中国やフィリピンが反故にしてますが・・・)

とにかく15〜18世紀の西欧は激動の時代でして
手工業が産業革命により資本主義経済に転換したり凄まじい没落と隆起があり
政治思想もその歴史の荒波の中で揉まれていきます。

その波は島国のイギリスにも波及し、産業革命と資本主義経済が爆発すると
新たな利害対立が生まれ、新たな政治思想も萌芽。

前述の通り、中世欧州では政治思想は宗教とは不可分。
主権は王にあり、その裏付けに宗教を利用していました。

王権は神から授かったものであり、(現人神な美しい国と似てますな)不可侵。
王権神授説と呼ばれますが
そんな不可侵な王権と産業革命により隆起した資本家との間に
新たな対立関係が勃発していくわけで、ピューリタン革命など小競り合いが発生。

そして、いよいよ政治思想的なカウンターとして
ホッブスにより近代的な政治思想の具体的な基礎となる「社会契約説」が提示されます。
CIMG0927.jpg

自然状態→社会契約→主権国家
と、構成されるそれは

人間は生まれ持って何をしてもよい権利を持つが
それを放置しておくと「万人の万人による闘争」というアナーキーな状態になるんで
(この辺は米国の大人気ゾンビドラマやマッドマックスなどでも描かれてますな)
各人がその自分自身を統治する権利を特定の人物か集団に譲渡する。
【ただしその契約は各人が受ける利益が平等であるというのが大前提】

という、社会契約とそれに伴う国家主権を定義。

ホッブスのそれは明らかに王権神授説に替わって
主権の由来を説明した王権政治思想でして
その政治思想的な深度を深めていくカウンターもまた発生。
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それがジョン・ロックの「統治論」で説明される新たな社会契約説。
国教会側で王権神授説に替わり説明したホッブスに対し
ピューリタン側に立って社会契約を説いたのがロックの「統治論」
政治権力の目的を”公共の福祉”に置くそれですが

ホッブスの言う通り人間はその欲望を追求するけど
同時に他人の生命、財産、自由を侵害してはならない。
という「自然法」をも守っていると定義。

では何故?人間はオオカミ状態から自然法を守るようになったのか?

それは労働による私有財産の発展と貨幣の発明により
自己が利用し得る以上の所有権を
人間同士互いに承認し合う不平等な合意形成ができた。と、説明

つまり、貨幣による不平等な合意形成を
社会契約によって歯止めをかけ適正な状態へ是正しようとした次第。

我が国の憲法も勿論そうですが
この社会契約のプロセスが民主主義も含め、
後の近代的な政治思想の基本となっていきます。

そんな社会契約説に対する嘲笑的カウンターもまた発生。
CIMG0929.jpg
社会契約説を完全にフィクションと嘲笑ったヒュームの人間性説
ご覧の通り理的な観念でなく、習慣という感覚を最重視するそれは
カウンターにしてはアバウト過ぎるシロモノでして
まあ、こんな感じで実にざっくりと説明するだけでも面倒くさいのが近代的な政治思想。


そのアウトラインはまだまだ深度を深めていくわけで
今回はここまで

ね、この人間社会には不可欠な”主権”を生むプロセスを全て自国で踏んだ国と
黒船やGHQにより経た国では色々と思考の深度も違うわけで
今や首相自体が、浅い思考深度しか航行できない美しい国。

次回以降も我ら少数派は、
その面倒くさい思考の深度を深めていきたいところですな。


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 【11//2016】

自己思考なき自己喪失時代。
思索の合間の余興も兼ねて、土着の風習を観測(観察でもヨシ)してきました。
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今日は住処から一山越えたお里。
この秋名集落土着のアラセツと呼ばれるお祭りや祭事の日。

そんなわけで夜明け前に飛び起きて秋名集落へ向かいますが
台風のせいで雨、雨、雨。

そんな秋名集落では重要無形民俗文化財なショチョガマと呼ばれる奇祭が行われるわけで
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ライトアップされた小屋では豊作を祈願する楽しげな宴が始まりました。


夜も開けた頃、こんな感じで祭りはヒートアップし小屋が傾き出しますが
その傾きが水田のある秋名集落の稲穂を表してるらしく
稲穂はナカナカ倒れません。


通りすがりのオッサンによると
向かって左に倒れたら豊作、右なら豊漁と良いトコ取りな奇祭

無事?向かって左に倒れまして今年も豊作、つーわけで無事終了。

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雨の中、その宴は楽しげでした。

そして仮眠ブレイクの後、午後の満潮時に
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この秋名集落の岩上で平瀬マンカイと呼ばれる
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アニミズムやシャーマニズム的な祭事が行われ
コレも久しぶりに観測(観察)。


ご覧の通りの不思議な祭事ですが、哲学なき時代
その土着のアニミズムな源流に触れるには、うってつけだったかもしれません。

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南の島のシャーマンな白装束な女たちが
沖に向かって祈りを捧げるそれは独特。
何も考えずにただ観るだけで、心が平和と安寧なノスタルジーで満たされます。
南の島で生まれ育った身なら尚更。

しかし、今、時代は考えなしに安寧は得られない激動期。

土着のアニミズムを無理矢理に現人神な国家的一神教まで飛躍させ、
一億総動員で政治利用し暴走した美しい国。
また同じような過程にある中、自己喪失した自己の立ち位置と
考える事の重要性を重要無形民俗文化財より痛感した次第。

美しい国のアニミズムの体現者で象徴たる天皇陛下は無論
シャーマンらと共に南の島の美しい海へ向けガチで平和を祈りましたよ。

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しかし普段は誰もいないド田舎の漁港がご覧の賑わい
地元の駐在お巡りさんまで、お子を連れて鑑賞してたのが印象的でした。

アニミズムな祭事も我ら現代的な法治国家の思想と暮らしの中では、今や珍事で
些か学術的な意義も含む観測や観察ではなく、
好奇心を満たす娯楽を旨とした観光対象。

そんな、世界中が自己中心的に傾く時代において
思索の再起動を図る上でも、土着的な風習の観測(観察)作業は
貴重で良いブレイクになりました。

やはり自分の立ち位置は自分の足で確かめないと
観光ではない独自のスタンスで楽しみながら。

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 【17//2016】

さてさて、政治資金規正法からPCデポまで
合法なら何でもアリな思考もモラル無き、一億総活躍時代。

今回も再びこのハードコアなニートによる
哲学的な思考のリブート作業へ、しばしお付き合いをば。


今回からは、ほぼ全ての人間にとって必要品となった社会。
その延長上にある政治や国家。
改めて、それが何故必要なのか?政治思想とは何か?

そのステージのアウトラインをなぞりながら
思索の手掛かりといたしましょう。

当然ながら、人間という生物種
その個人単体ではサバンナにおいてサバイバルするのにも限界があります。

最初から言ってしまえば、自己責任な弱肉強食の原理原則の原始世界
どんなに優秀な個人であっても、
過酷な原始生存競争に個人プレーで永続的に勝ち残るのは不可能。

狩りにしろ、農耕にしろ”協働”という概念によって、
単体では不可能なマンモスも倒し、麦やコメも大量に生産。
人間という種が、永続及び安定的にサバイバルする確率を上げてきたわけです。

最初は家族という小さい単位で協働してたそれですが、
人間だけが持つ意思疎通の方法、すなわち、言語や文章や道具によって
家族内は無論、他の家族も含めて協働はより、効率化、巨大化されていきます。

そういう他人も巻き込んで協働する単位が大きくなるに従い、利害対立。
すなわち、争いの種も増えてくるわけですね。

そこで、秩序と安全を維持するために動物世界とは明確に異なる
”政治”という人間世界独特の思想的な概念が生まれてくる
っちゅーわけ。

どうです?自己責任でバッサバッサ弱肉強食で弱者を切り捨てる
社会が如何にアホな代物か?この超がつく基本的な時点で理解できますが

そんな協働集団を取りまとめる存在として、不文律を明文化した法律や納税によって
運営される国家が誕生していくわけです。

そんな原始共同体から進化した原始国家。
最初は絶対的な専制君主と官僚によって支配される専制君主制であり
前回の宗教的な信仰とも密接に絡んでいて、君主ファラオを神と崇める
エジプトのそれらが色々と代表的ですが、
同じ専制君主制でもメソポタミアや中国は君主が神でなく最高司祭者だったりします。

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そんな古代の政治思想、特に中国では前回サラッとなぞった
儒教的な倫理というべき思想がベースになった人治主義が特徴的でして
法体系や徴税などテクニカルな方法論より、「君子は器ならず」と
徳という曖昧で抽象的な概念を重視させた代物で
中国は長らくコレを国家的なイデオロギーとしてきたのです。

ようは自然災害だろうが何だろうが、
政治の失敗は「支配者の不徳の致すところ」ちゅーわけ

徳治主義と呼ばれる性善説なそれに対して、
裏では人間性悪説に基づき人民に勝手なことはさせねーぞ!と、
法体系をビシバシ厳格化した法家という思想も存在してたようで、
古代中国の人治主義は様々なカウンターを生み、細分化しておったようです。

この辺はなんかの源流を感じますな。

その他、インドのカースト制度なども
専制君主制を強化する存在として誕生したのは、以前お話した通りですが
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そんな政治思想が厳密に成立するんは、やはり古代ギリシャにおいてでしょう。
その詳細は例によって省きますが
古代国家ポリスの名を使いポリティクスと呼ばれる政治。

都市国家は最初の市民社会として成立していて、その運営のために討議をし
当然そこから政治思想と呼ばれる代物が登場するのは必然で
最初のまとまった政治思想は、プラトンとアリストテレスのそれでしょう。

とりわけ、アリストテレスのそれは上記の通り
政治形態を3つに分類し、その堕落した状態まで定義しました。

その源流にはポリスの市民討議が簡単に野心家などに買収され易く
とても理想的な政治形態とはいえなかったという状況があり
実際に多くの野心家が買収によって権力を握り、独裁制を敷いていました。

これに懲りたアテナイなどが、「陶片追放」という
僭主になりそうな野心家に対して投票し一定数を超えたら、追放するという制度を導入。

この辺からも解る通り、古代ギリシャの政治思想には独裁制に対しての警戒心があり
最終的にはアテナイでの直接民主制まで発展することになります。

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他にも古代の政治思想には宗教の時にも触れた
聖俗一致なイスラム社会のそれや

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聖俗分離なキリスト教圏でも、トマス・アクィナスの「君主論」などで
上記のようなキリスト教的な専制君主制における
国家形態のあり方を定義付けていきます。

そして、西欧ではルネサンス期に入り
その後、政治思想というのは様々な変革を遂げながら
原始国家から現代的な民主主義国家までアップデートされていくわけですが

さて、そんな思索における新ステージの序章。
今回はサラッとここまで

次回から、
色々と思索の旅もリブートしたいと思います。

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 【04//2016】

自己思考なき時代と、勝手に言ってますが
そんなの美しい国では、今に始まったことではありません。

もともと曖昧無垢な土着的なアニミズムである神道や
外来宗教である仏教や
これまた外来である儒教を基にした、水戸学に端を発する急造武士道など
皇室も含めて、明治以降統治を強化するための急ごしらえな規範へ
その身を預けてきたのが日本民族。


その根本を探る上で欠かせないのが、儒教
朝鮮半島においては、宗教的に信仰されたりもしてましたが
日本では宗教というより、倫理及び道徳的な規範として
今も馴染みの深いコレ。

福(子宝)禄(出世&金儲け)寿(長生き)に代表されるように
現世的で唯物的な欲望や価値観を肯定している儒教や道教。
孔子により開祖され、体系化された儒教は、宗教や思想以前に
中国の土着的な生命観を反映した代物といえるでしょう。

その中国の土着的な生命観の根底に、
父系、すなわち男性を中心にした系譜を重視する家族関係があり
それに基づいて、族譜を編纂したりするわけです。
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中国の土着的な生命観や死生観には、母は借り物
すなわち、産む機械。
その族譜には氏のみ記されてたくらい男子中心でして
図にあるように、父系の男子を多く残してこそ、ナンボ。

それこそが自己を永遠化し、死の恐怖を克服する死生観であったわけで
儒教や道教にも、この生命観や死生観が大きく影響していて
この自己思考無き、美しい国へ影響してるのは、言わずもがな。

さて、そんな儒教。
その詳細は面倒くさいので、例によって割愛しますが、
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中国大陸で様々な思想が開花した「諸子百家」の時代に
孔子により開祖され、礼や仁を重んじるそれは多くの弟子を獲得。
儒教集団が誕生。後にその弟子との対話は論語として編纂。
後に体系化されたわけですが、当然ながら、その過程で分派も生むわけです。

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その中で、とりわけ有名なのが孟子と荀子の性善、性悪説の対立などがあります。
そんな思想も含めた百花繚乱な戦国時代を強制的にリセットしたんが
秦の始皇帝。

彼は論ばかりで実行力が無いと、儒者や儒家の思想を全否定し
より偽悪的な法家の立場をとり、「焚書坑儒」で儒教の文献を焼却。

儒者を生き埋めにするなど悪名を残しますが、漢代になっても
初代の高祖は下層民の出身だったので儒学を馬鹿にして蔑ろにします。
しかし、それも2代目、3代目になると儒学も徐々に復興し、
7代目ではついに儒教は国教化。

国教となった儒教ですが
強烈な思想、及び政治的な副作用を生むわけです。

その一つが、科挙と呼ばれる壮大な高級官僚の登用試験で
20世紀まで続くそれは
”昇官発財”(官僚として出世して金儲け)という
どこかの美しい国の自己責任に似た歪んだ固定観念を生み、
多くの若者たちがそれに挑戦。
四書五経で総計85万1286字に及ぶ壮大な丸暗記試験。

当然ながらカンニングも横行したりした、この科挙制度こそが
中国大陸の思想的なダイナミックさを奪い
若者たちの野心や知識人の頭脳を完全に一つの型にはめて停滞。

それが再び起動するには、中華自民共和国の代まで待つことになるわけです。

そんな停滞という副作用も生んだ儒教ですが
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決して一枚岩ではなく、「訓詁の学」で経典を正確に読み観念的であった儒教を
朱熹により哲学及び宗教的に体系化し、独自の「朱子学」として組み立てました。

仏教の禅などからも影響を受けたそれは、儒教の仏教化とも呼ばれたりしてますが
「十三経」から「四書五経」へ体系的に整理しました。

そんな人間を気と理に分別した朱子学に対してのカウンターが、陽明学。
理と性を対立させるんではなく、人間の心を丸ごと(良知)として肯定。
よりダイナミックで自由奔放な思想ですが、アバウトな分、
如何ようにも解釈可能で後に分裂。

そんな朱子学と陽明学
前者は水戸学に代表されるように江戸から幕末期の日本へ多大な影響を与えます。

独自の思想や哲学のない日本において、
土着的なアニミズムである神道や外来宗教の仏教などでは
統治する上で弱すぎます。

それを補完するために、江戸後期で儒教(主に朱子学)を輸入。
水戸光圀の「大日本史」などに代表されるように
新たな人工的で急造的な規範は、西郷隆盛や吉田松陰らにも影響を与え
明治以降の国家的な価値規範として利用されるに至ります。
(朱子学だけでなく陽明学の分派も、近代の三島由紀夫などへ影響した)

そう、曖昧無垢な日本人というアイデンティティを考える上で
この輸入された儒教的な規範を抑えておかないと

大日本史や大日本帝国が生んだ
自己思考なき、ごっちゃ煮な価値規範の泥沼へハマるわけで
今も多くの日本人が、道徳の授業などで老人は無条件で敬え等
訳分からん儒教的(的であるのに注目)規範に身を置き

自己思考なき自己喪失の過程にあり、
その象徴こそが、まさに誰よりも自己を喪失した天皇と天皇制です。

長きに渡る父系の皇統なんて誇っている美しい国。
個人的に言わせてもらえば、それこそが自己思考なき日本人における歴史の負の象徴。

何より、今も天皇陛下を悩ます皇室典範なんて存在が、
黒船により道徳的な規範や国体を慌てて急造した明治以降の大日本帝国
その負の遺産であるわけです。

中国はその儒教により停滞し、その開放が遅かっただけで
文明を先に開化しながら儒教を後追いした日本が思想的に暴走し
国家的に破滅したのは歴史の皮肉。

そして、今は経済大国としても2回目の下り坂で
思想的にも再び戦前へ回帰中。

どうです?

ちょいと儒教のアウトラインを知るだけでも
自己思考の大切さと思想的な硬直化の怖さが解るでしょ?

美しい国の伝統などと言いますが
内実は輸入品ばかりで、実に実に曖昧無垢な存在ばかりなんです。

そんなフラフラと自己喪失した存在だからこそ、
急ごしらえな規範や錦の御旗の効力もあるわけです(笑)

他にも中国には、エリート主義な儒教に対し
th_CIMG0386.jpg
より庶民的で宗教的な道教などもありますが、今回は割愛、割愛。

自己思考なき時代の思索の旅は、次から新たなステージへ移りましょう。




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 【03//2016】

さて、ハード・コアなニートによる面倒くさい思索の旅。
少し日課や稼業にかまけて間が空きましたが、再び、しばしお付き合いをば。

前回までは、哲学なき時代における思索の手掛かりとして
世界宗教の大まかなおさらいをば行った次第ですが、前回のヒンドゥー教に続き
今回は同じくインド発の仏教。

前回も書きましたが、インドでは早くから哲学的な思索は行われていて
ヒンドゥー教やそれに伴うカーストなどで制度化もされてました。
しかし、過去のインドは家畜による肉食が主流であり、それに伴う災害が頻発。
その時に非殺生、植物食を旨とする思想家や宗教家が現れ、その一人である
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修行者、シャカにより開祖されたのが仏教。
シャカはヒマラヤの過酷な原始社会でこの世の無常を感じ
地位、財産、家族を捨てて、所謂、出家。
修行の果てに悟りの境地に到達し、ブッタとなった次第。

シャカの思想もインド土着のカルマ(業)を基本としてますが
そのカルマによる因縁を断ち、無我の境地=ニルヴァーナに到達することよって
悟りとする次第でして、その悟りの過程で必要なんが
八正道と呼ばれる方法。

極端な苦行や自由の中道にある、この修行法により
シャカは多くの弟子を獲得しますが、
仏滅後、上座部仏教と大衆部仏教に分裂し、更に細分化し現在に至る次第。

上座部仏教は比較的シャカの教えに忠実であり
自らを大乗仏教と呼ぶ大衆部に対し小乗仏教と呼ばれてきた宗派。
戒律に厳格で、全ての修行者が仏になれるとは限らないと
悟りに段階を付けるエリート的な思想が中心にあります。

この流れは主にスリランカから始まり、現在の東南アジアへも拡大しています。
労働を禁じ、食べ物は喜捨してもらい、ひたすら瞑想に耽るアレです。

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それに対して大乗仏教と自称する大衆部の仏教は
誰でも人間は仏になる資格を持っているとし、エリート主義な小乗仏教を批判。
プロテスタントの布教の如く、積極的に多くの人へ教えを説き仏にするという流れ。
自分が成仏するより、多くの人を成仏させた”菩薩”を高評価します。

教義も限定されず、哲学的な思索も多岐にわたり、かつ精緻に展開されました。
この大衆部は主に中国や朝鮮半島に伝搬し、一時的に栄えますが形骸化。
同じく伝搬した日本で更に独特な発展を遂げるのは、ご存知の通り。

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その大乗仏教の中で、独特な発展を遂げ日本にも影響与えた中国仏教。
ガンダーラから続く中央アジアを経て中国へ伝搬されたわけですが
それが体系化された三蔵と呼ばれる経典、論書、戒律であり、
「西遊記」の伝奇小説はまさにその過程をフィーチャーしたもの。

その四宗派はご覧のとおり

とりわけ、後世に大きな影響与えたのは
天台宗と浄土教と禅宗。

法華経に基づく天台宗は、もっとも大衆開放的で積極的。

浄土教は信仰を阿弥陀如来に集約させており
救いは「信仰のみ」というルター的な思想を持ちます。

「不立文字」を謳う禅宗は、その通り
経典など言語に頼らず、ひたすら瞑想と精神集中によって悟りを目指す宗派。

この3つ、中国より日本へ大きく影響し、今や中国よりも栄えています。

そんな大衆開放された大乗仏教の最後には
カルト的な密教も萌芽。
大乗仏教の思想や哲学に古くからの呪術を融合させ神秘的に体系化されたそれ
曼荼羅と呼ばれる絢爛な図絵を用いたり、護摩を炊く祈祷や儀式を最重要視し

その秘儀による恍惚状態を即身成仏とし、そのためには性欲すらも利用します。

これは主にチベットなどで栄え、モンゴルや華北にも広く普及しますが堕落

CIMG0359.jpg
改革を経て、戒律を重んじる黄教を興したり
ダライ・ラマなどに代表される活仏と呼ばれる思想や存在も生み、
中国共産党との軋轢を経ながら現在に至ります。

そんな実に実に大まかな仏教の流れを見るだけでも
とりわけ、この自己思考なき美しい国における
思索の基本的な手掛かりになると思います。

以外にコレすら知らない人が殆どですからね。仏教の信徒でも。

そんなわけで、基本中の基本から、おさらいする思索の旅。
まだまだ終わりません。


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